木簡出土坑

更新日:2022年05月23日

当時をうかがわせる木簡や墨書土器が出土した穴

寺の東側を区画する築地近くに大量の木簡(荷札)や木屑、割れた土器や瓦が埋められた穴がみつかりました。この付近は地下水位が高いため、木製品が腐らずに保存されたようです。
土坑は、東辺築地塀と推定される遺構の内側で検出された長軸約9.5m、短軸約5m、深さ0.6m~0.8mの楕円形状のゴミ捨て穴として掘られたものです。土坑が検出された遺構面は、黄褐色の粘質土でありますが、最下層に暗褐色土が堆積しており、その土層上に木屑層が広がっていました。
この木屑層の中から、須恵器、土師器、製塩土器、瓦と紡績機(糸巻)、服飾具(檜扇・留針)、容器(曲物)、食事具(杓子形木器、箸)、文房具(物指)、祭祀具(斎串、鳥形)など多彩な木製品や木簡、植物遺体(スモモ、モモなどの種子、樹皮等)等1万点を超える遺物が出土しています。そのうち植物遺体と加工の際に生じたと見られる木材の削屑(チップ)を除く内訳は、土器類が1029点(須恵器618点、土師器44点、製塩土器367点)、瓦67点、木製品類7427点でその大半は小木片と樹皮(檜皮)でした。
この土坑から「安居」、「斎会」といった仏教行事や「寺前」、「佛」という寺院との関連を示す墨書が記された土器とともに、「佐伯郡」、「山方郡」、「高宮郡」、「沙田郡」等安芸国内の郡名と品物が記された木簡が出土しています。木簡の中には、「天平勝宝二年」の年紀銘が記されたものも出土しており、これらの出土品は、賀茂郡に所在する仏教に関わる公的機関すなわち安芸国分寺に対して安芸国内各地から天平勝宝2(750)年頃に送られてきた諸法会に関わる廃棄物と推定されています。
同時にこれらの出土品は、安芸国分寺が天平勝宝2年までには重要な法会が開催できる体制と伽藍を備えていたことを示す重要な資料となっています。


発掘調査時の木簡出土坑の写真です。土器や木屑が確認できます。

 

木簡の出土状況

木簡の出土状況です。
地下水位が高く、水に浸る状況だったために、腐食せずに残ったと考えられます。

 


天平勝宝2年が記された木簡の写真です。

 


墨書土器「安居」

木簡と同じ穴で出土した墨書土器の写真です。
安居(仏教の研修)、斎会(斎食のある法要や集会)が天平勝宝2(750)年頃に開催されたものと思われます。

 

関連速報
阿岐のまほろばvol.21(平成13年3月発行)(PDF:2MB)


 

地図情報

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