史跡 鏡山城跡

更新日:2016年12月01日

戦国時代初期を代表する大規模山城跡

鏡山公園から見た鑑山城跡の写真

平成30年7月6日からの豪雨により、公園内で土砂災害等が発生しております。
そのため、今後の降雨などで二次災害が起きる可能性もありますので、当面の間は立ち入りができません。ご了承ください。

 安芸国の穀倉地帯であった東西条(現在の東広島市南部と呉市の一部)支配の拠点となっていた山城です。鏡城とも呼ばれていました。

 文献資料による初見は寛正年間(1460~65)に書かれたと考えられる小早川煕平宛の「細川勝元感状写」です。しかし、これまでの発掘調査からすると、南北朝時代頃に築城されたと考えられます。

 室町時代後期、安芸国と備後国は、東の細川氏と西の大内氏の勢力が拮抗する地域でした。
 その状況の中、大内氏は鏡山城を安芸・備後国の政治的拠点と位置付け、安富行房や陶興房らの重臣を東西条代官に任命しています。
 文明10年(1478)6月20日大内政弘の署名がある、現存する最古の城掟(城を守るための規則)「安芸国西条鏡城法式条々」を制定しています。(山口県に所在する重要文化財「大内家壁書」の一部です)
 城には交代で番をする「城衆」を配置し、城料所(城の維持管理費徴収のための土地)を設定するなど、拠点としての整備がなされていきました。

 大永3年(1523)尼子氏の南下を契機に、この地方も本格的な戦国時代に突入します。鏡山城はこの時の攻撃によって落城し、大内氏の勢力は大きく後退しました。その後、この地域を取戻した大内氏は、拠点を八本松町の杣城(曽場が城)・槌山城に移し、鏡山城はその役割を終えたと思われます。

鏡山城跡頂上からの展望(北方向)
鏡山城跡からの展望(北方向)

鏡山城跡からの展望(西方向)
鏡山城跡からの展望(西方向)

アクセスについて

  • JR山陽本線西条駅から、ブールバール 広島大学線乗車、約10分鏡山公園入口バス停下車
  • 山陽自動車道、西条インターチェンジから車で約20分

 鏡山城跡は鏡山公園の中にあります。山頂にある1郭までは公園入口から徒歩で約20分かかります。
 山城の部分にも一部遊歩道を整備していますが、整備していない道もありますので、お怪我のないよう、道を迷われませんようご注意ください。
 また、山道ですのでマムシやスズメバチ等に注意して散策してください。

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容量が3メガバイト前後あります。ご注意ください。
また、印刷したリーフレットを近隣の三ッ城古墳管理棟(土曜日・日曜日のみ開館)、旧石井家住宅(月曜日休館)でも配布しています。
あわせてご利用、ご見学ください。

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