史跡 鏡山城跡
お知らせ
平成30年の豪雨災害の被害で立入不可の場所がございますので、登山の際には十分ご注意ください。
鏡山城跡入山制限箇所地図(PDF:723.1KB)
大内氏の安芸国支配の拠点となった大規模山城
史跡 鏡山城跡は大内氏が安芸国支配の拠点とした城で、大内氏領国の東端のおさえとして、安芸国東西条(現在の東広島市南部と呉市の一部)に築かれました。
鏡城とも呼ばれていました。
文献資料による初見は寛正年間(1460~65)と推測される「細川勝元感状写」ですが、これまでの発掘調査からすると、南北朝時代頃に築城されたと考えられます。
当時造成された郭(くるわ)や城壁にあたる切岸(きりぎし)、竪堀(たてぼり)などが良好な状態で残り、戦国時代初期を代表する大規模山城として高く評価されています。
基本情報
- 名 称 鏡山城跡
- 種 別 史跡
- 員 数 1件
- 所在地 東広島市鏡山二丁目
- 指定日 平成10年1月14日
- 年 代 南北朝時代~戦国時代
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詳細
歴史
室町時代後期、安芸国と備後国は、東の細川氏と西の大内氏の勢力が拮抗する地域でした。
その状況の中、大内氏は鏡山城を安芸・備後国の政治的拠点と位置付け、安富行房や陶興房らの重臣を東西条代官に任命しています。
文明10年(1478)6月20日大内政弘の署名がある、現存する最古の城掟(城を守るための規則)「安芸国西条鏡城法式条々」を制定しています。(山口県に所在する重要文化財「大内家壁書」(いわゆる分国法の1つ)の一部です)
城には交代で番をする「城衆」を配置し、城料所(城の維持管理費徴収のための土地)を設定するなど、拠点としての整備がなされていきました。
大永3年(1523)尼子氏の南下を契機に、この地方も本格的な戦国時代に突入します。鏡山城はこの時の攻撃によって落城し、大内氏の勢力は大きく後退しました。その後、この地域を取戻した大内氏は、拠点を八本松町の杣城(曽場が城)・槌山城に移し、鏡山城はその役割を終えたと思われます。
アクセスについて
- JR山陽本線西条駅から、ブールバール 広島大学線乗車、約10分鏡山公園入口バス停下車
- 山陽自動車道、西条インターチェンジから車で約15分
鏡山城跡は鏡山公園の中にあります。山頂にある1郭までは公園入口から徒歩で約20分かかります。
山城の部分にも一部遊歩道を整備していますが、歩道として整備していない山道もありますので、お怪我のないよう、道を迷われませんようご注意ください。
また、山道ですのでマムシやスズメバチ等に注意して散策してください。
なお、平成30年度の豪雨の被害で立入ができない場所や立ち入りを制限している応急処置を施している場所があります。危険ですので近づかないようにお願いします。
リーフレット
容量が3メガバイト前後あります。ご注意ください。
また、印刷したリーフレットを近隣の三ッ城古墳管理棟(土曜日・日曜日のみ開館)、旧石井家住宅(月曜日休館)でも配布しています。
あわせてご利用、ご見学ください。
この記事に関するお問い合わせ先
生涯学習部 文化課
〒739-8601
東広島市西条栄町8番29号 北館2階
電話:082-420-0977
ファックス:082-422-6531
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更新日:2024年04月01日