塔跡
七重塔があったとされる塔跡
聖武天皇の玉歯が埋められているという伝承があった塚を、昭和9年に発掘調査したところ、心礎をはじめとした塔の礎石が発見され、ここに国分寺があったことが明らかになりました。
塔の基壇は約16m四方、高さ約1mで、一部で版築が確認されています。基壇上の約9m四方の範囲に礎石が並んでいます。国分寺では七重の塔を建てることが決められていましたが、地方によっては五重塔であったりしてまちまちだったようです。
安芸国分寺の場合は、礎石規模からみると七重塔を建てるにはやや小さ目な規模ですが、工学的には建築は可能な大きさです。
塔は、平安時代末期頃に火災に遭い、西側に倒壊していて、大量の瓦が地中に埋まっています。火災の後、塔は再建されず、土砂に埋められ、高さ約3mほどの塚になっていました。
塔では多数の瓦が使われ、破損のたびに差し替えも行われていたため、年代の異なる瓦が同時期に屋根にのっていたようです。
発掘調査以前の塔跡の写真です。塚になっているのがわかります。
発掘直後の塔跡の写真です。礎石の存在が明らかになりました。
史跡指定後の写真です。風景は異なりますが、現在の塔跡と同じ状態になりました。
平成14年に塔跡西側を調査した時の写真です。
大量の瓦が出土しました。
塔が倒壊した際に落ちたものと思われます。
関連速報
阿岐のまほろばvol.26(平成14年11月発行)(PDF:2MB)
地図情報
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更新日:2024年10月01日