安芸国分寺の文化財(建物)

更新日:2017年09月25日

仁王門と護摩堂

國分寺仁王門
平成11年2月18日指定 市重要文化財

この國分寺仁王門は、間口3間、奥行2間の典型的な八脚門(3間1戸)で、桁行5.4メートル、梁間3.1メートルを測ります。柱は全て円柱を用いており、棟通りに扉を吊っています。
両脇の後方間には仁王像が安置され、前方間は土間としてつくられれ、仁王像への礼拝場とする平面形式を採っています。こうした形式は、中世期に一部の仁王門で用いられたものです。
また、門の形状は柱上舟肘木を置くだけの極めて簡素な意匠です。
当初の屋根は、茅葺か杮葺であったと考えられますが、明治期に桟瓦葺に改められ近年にも桟瓦の葺き替えが行われています。扉は江戸時代、天井と垂木より上は近年の材ですが、柱や舟肘木さらに一部の貫が当初材です。このように数度の修造が行われていますが、建立年代は、部材の経年劣化と建築意匠上から16世紀中期と考えられます。
棟には22枚の祈祷札が残っていますが、最も古いものは裏面に「仁王堂」銘が見られる天文16年(1547)のもので、推定される仁王門の建立時期と矛盾しません。東広島市内で唯一現存する中世の大規模な建造物であり、当時の安芸国分寺を考える上で貴重なものです。なお、『八箇国御時代分限帳』によると、文禄年間(1592~95)に安芸国分寺は、毛利氏より30石の所領を与えられていました。

 

 

 

國分寺護摩堂
平成11年2月18日指定 市重要文化財

護摩堂は、特別に設けられた祭壇の火炉で乳木などを燃やし、本尊(不動明王)に祈願する護摩供養を行う建造物です。國分寺護摩堂は、広島藩主の病気平癒や武運長久を祈祷していたため、正面向拝の中備には、浅野家の家紋である違鷹羽紋が取り付けられています。
この護摩堂は、ほぼ20尺四方の平面を全面3間、側面を2間としたもので、桁行5.9メートル、梁間6.9メートルを測ります。背面には半間幅の下屋を付けています。
細部の意匠は、装飾的で地方色が強いものです。建築様式は、唐様を主体としていますが、肘木の形状や内部の小組格天井などに和様の手法が用いられています。向拝の組物は特殊で、連三斗を用いず、出三斗の上にさらに一段の斗肘木を重ねています。また、主屋の組物の構成も唐様の出組ですが、壁月の長い肘木の上に、通常3個の斗をここでは5個並べています。軒は2軒平行繁垂木とし、向拝の打越し垂木は、照り起くりを付けた茨垂木です。さらに妻飾は虹梁大瓶束式です。建築年代は、建築意匠上から18世紀後半から19世紀初期と考えられます。
この護摩堂は、江戸時代後期の重厚で装飾的な細部意匠を用いた建築物であり、この地域最大の規模を誇っています。当時の建築技術や文化をよく示す好例と言えます。

 

 

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