安芸国分寺の文化財(仏像)

更新日:2017年09月25日

安芸国分寺を見守ってきた仏像

木造薬師如来坐像
昭和60年3月24日 県重要文化財

県重要文化財木造薬師如来坐像

薬師如来は、人々の病苦を除き、安楽を与えるなど12の誓願をたてた如来です。病気平癒など、現世の利益的性格が強い点が信仰されてきました。
この木造薬師如来坐像は、國分寺に伝わる仏像の一つで、境内の薬師堂に安置されている一木造の半丈六像(坐高4尺)です。
顔の長さは、47センチメートルとかなり大きく、頭頂部の肉が隆起した肉髻を乗せて、全面に螺髪を付けられています。額の中央には白毫をはめ、目は彫眼で、唇を引き締めた顔の表情は力強く感じられるものです。また、耳は長大で、耳たぶには穴を開けており、首は二筋のしわを横に入れた三道を表しています。
胴部は、胸部や腹部の肉付きが悪く扁平気味ですが、薄肉ながら微妙な立体感が認められます。この時期の衲衣の着付けは、多くの如来像が編袒右肩と呼ばれ、一枚の布を身体に巻き付けていますが、この仏像は二枚の布を巻き付けて両肩を包んだ、通肩と呼ばれる中国風のものです。左手には薬壷を持っています。脚部は、あぐらを組んで座った結跏趺坐と呼ばれる形態です。像高は130センチメートル、膝張りは100センチメートルを測ります。
光背は、頭部の後ろに置かれた円形の輪光で、内側に蓮華文を簡略化した文様が付いています。また、台座は蓮華座です。厚みの薄い蓮肉部の下側に反花が存在しますが、蓮肉部には蓮弁が一枚も葺かれていません。
この仏像は、度重なる火災によって焼けこげています。補修も繰り返し行われていますが、平安時代後期に作られた藤原様式と呼ばれるものです。長い安芸国分寺の歴史を見守ってきた仏像といえます。

 

 

薬師如来坐像
昭和53年11月15日 市重要文化財

 

薬師如来坐像

この薬師如来坐像は、國分寺の本尊として使わる寄木造の仏像で、本堂の厨子の中に安置されているものです。33年に一度開帳されます。
面長の顔で、頭頂部の肉が隆起した肉髻を乗せて、全面に螺髪を付けています。額には白毫をつくらず、目は木眼ですがその手法は特異で、首の三道も一筋のしわを横に入れた二道に見えます。
肩部は撫で肩ですが、胸部や腹部の肉付きがよく、頭部に比べて胴部が大きいものです。衲衣の着付けは、二枚の布を巻き付けて両肩を包んだ通肩と呼ばれるものです。左手には薬壷を持っています。脚部は、あぐらを組んで座った結跏趺坐と呼ばれる形態ですが、肉付きが悪く、偏平気味となっています。像高は127センチメートル、膝張りは104センチメートルを測ります。
光背は、頭部の後ろに置かれた円形の輪光で、内側に蓮華文を簡略した文様が付いています。また、台座は蓮華座で、広島県重要文化財に指定されている木造薬師如来坐像に類似したものです。
野坂完山は『芸備大帳外史』に、「宝暦9年(1759)4月1日、当時の國分寺が仁王門を除いて諸堂焼失した」と記述しています。また、この仏像台座銘によると、宝暦9年お火災の際、この仏像頭部だけを救い出し、翌年に京都の仏師、山口伊織豊房が胴体をつくって補修したとあります。このため顔面と胴体、着色の様子、手首の太さなどが異なっており、台座や光背もこの時に補修されたと考えられます。
この仏像の頭部は、平安時代末期の面影を色濃く残しているものです。

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